今日の思索#5

「店の客引き」
夕食の店を選ぶときのこと.「今日の」思索とか書いていますが,昨日から考えています.このシリーズは考えたことを書くのが目的なので,(私にしては)長文を書く割には話のオチがつくことは保証されません.


最初に言っておきますが,客引きをする店をどう見るかは見る人の自由で,台詞の上手下手に関わらず店の評価が上がったり下がったりすることすら妥当です.私の場合,少なくとも昔は,入ろうと決めた店が客引きをしていたら入るのをやめるという,過激な客引き否定派でした.その理由は無理やり1つにまとめるなら「客引きをするコストは他に回せばいい」で,この理由づけは飲食店で料理以外気にしないなら正しい考え方だと思っていました.より一般に,広告が嫌いだったような気がします.


広告を,商品を改良せずに売り上げ数を増やす手段と考えてしまうと「社会全体で見て合計すると損」*1だから嫌いなのですが,これを書き始めるとキリがないのでやめて,なぜ最近は許せるようになったかについて.

  • 良さは説明しないと分からない
  • 他が広告する限り,広告をしないと良いものが生き残らない

のような抽象論*2というよりは,

  • 客引きの有無と料理の良し悪しに有意な相関を感じられない

という具体的な経験が要因として大きそうです.


だから具体的なことは大事だとは考えているものの,やはり,もっと一般的に考えを進めたくなってしまうものです.「広告」のおそらく重要な例で「自己アピール」があります.就活で必須だと考えると気が滅入るのですが,そろそろ避けて通れない年齢になってきました.
……就活なんて文字を書きたくないので例をちょっと変えます.
私は,少なくとも昔は,コンパでサラダを取り分けるような人の評価は下げていました.もちろん,ここでサラダを取り分けるというのは気が利くことの自己アピールとしか見ていません*3.ここで,上の議論を適用すると,きっと,サラダを取り分けることと実際に気が利くことについて大きな相関がないのでしょう.他人の心なんて分からないので今回は調べにくいですが.


つまり*4,私が一般に広告を否定し,広告に対して評価を下げるなどの抵抗をしようとしていたのは,あまり意味がないということをだんだん理解してきたわけです.世の中にはオムライス*5を用いて女子力を広告する方法が知られていますが,その広告を用いることと本人の人間性とは無相関と私は考えることになりそうです.「オムライス女子なんかに誰が騙されるか」なんて言っている人の方が本人の人間性を見ることに失敗しているので,騙されることになるんではないでしょうか.

*1:私の「社会」とか「合計」とか「損」とかの用法は他人との違いが大きかったと思う

*2:これも昔から知ってはいた

*3:私はそうされて嬉しかったことがないというだけで,まともな人なら単純に気が利くと受け取るのかもしれません.私だけたくさんサラダを取りたかったという理由ではないからね!

*4:論理に飛躍があるような

*5:正確には,オムライスを食べられないと発言すること