今日の思索#12
「そんな悟ったようなことを言って」
おそらく,私には自明すぎる方向に理解できない言葉なのではという考察.
準備として,次のような思いについて考察しましょう.
- ああ,私は今嬉しいんだ.ちょっとした言葉でしかないのに,すごい.心拍も増えているや.
- 大して困りもしないようなことに,さっきまで落ち込んでいたんだ.それでも直後は絶望に感じられたのは面白いなあ.
例は私がしばしば体験するものから特徴的なのをとりました.
まず,こういう現象ってどれぐらい共感されるんでしょうか.私はこういう時に割と「なんで,そんなつまらなさそうにしてるの?」とか「こんな時なのにニヤニヤしやがって」とか言われるので,上記のような心の動きは普遍的なものではないと考えています.
どうして,普遍的な現象でないかを推測してみます.主観的な見方より客観的な見方をいくらか優先しているからなのではないでしょうか.喜怒哀楽他さまざまな感情のうち多くが,なんだかんだ言っても*1自分を中心に捉えるものであるのに対比して,好奇心(驚きとは少し違う)だけは純粋に世界を捉えているのではと考えています.つまり,何が言いたいかというと,好奇心が他の感情より優先している現象だと思うわけです.思えば,高校生のときに性格診断テストを受けた*2ときも,5項目ぐらいの中で好奇心の強さみたいな項目が突出していた*3はずで,このことは傍証になっているでしょう.
さて,
- 嬉しいことがあった直後は誰にも表情を見られず,しばらくして「好奇心に感情を上書き」されてしまった後に「冷静だね」と指摘されたり,
- 悲しいことに対して,1人でいる間に「好奇心で感情を上書き」して逃れた後に,「動じてないね」と指摘されたり
するのは,(気遣ってくれていることは嬉しいのですが)的外れで,感情がすぐに失くなっているのではなく,単に好奇心に変化しているだけです*4.
こういう指摘って,まとめると「悟っている」とか「老成している」とかいう主張だと思うのですが,それって,「様々な出来事によって感情を摩耗して,出来事に感情を動かされない」という意味ですよね.そういうのではないんですよ.出来事に感情を動かされているんですよ.ただ,私も他の人も好奇心を感情の1つとあまり考えていないだけで.そして,好奇心以外の感情がもともと相対的に少ないというだけで,感情が麻痺した結果ではないのです.
未だに自身の感情に(毎回とは言わないまでも)興味を一々持てるのって,人生経験が足りないのかなあと思います.一応,次のような疑問「私は,子供っぽい考えに見え,なおかつ,年寄りっぽい考えにも見える.これは矛盾のようであるが,なぜだろう」に対するより良い解答が今回これで見つかったわけですが,このことは個人的な話題に過ぎないのでキーボードから手を離します.