沈黙はいつも金

「沈黙は金ではなく死です」と言い放つ先輩を見ていると,伝統的な価値観は意外と簡単に否定されてしまうのだなと感じる。もっとも,私は「沈黙は金」派だったのでイラッとしてしまっていた。なぜ先輩は,単に「沈黙は死」とは言わなかったのだろう。この疑問に対する答を,先輩の「伝統を守る立場を表明するときよりも壊す立場のときに声が大きくなる」癖だと推定した。もしかすると,昔は私よりずっと旧習にとらわれていたのかもしれない。
話題が「研究発表の質疑応答」なのだから,質問に黙っていて何かが良くなるなんて思ってはいない。沈黙の罪の程度が「死」という表現に値するかについても,先輩の経験や知識を信じている。それでも「沈黙は金」を捨てられない。簡単に捨ててしまえるなんて軽率だと思う。
もとの諺は「沈黙は金,雄弁は銀」であって,「沈黙は1番,雄弁は2番」ではない。この諺を「沈黙すべきだ」としてしか使わない人には違いはないだろうが,金銀へのたとえは結構上手いように私には思える。序列以外の意味が諺の意味として正しいかはともかく。
例えば,金は(銀よりも)柔らかい。この万能っぽさは沈黙の性質のようだ。
例えば,銀は悪魔祓いの象徴だ。この強さは雄弁の性質のようだ。一方で,沈黙は美しくも呪われている印象があり,金のイメージに合う。パイレーツ・オブ・カリビアンで呪われているのは金貨だし,ツタンカーメンの金のマスクは埋葬品だ。中つ国のスマウグも金の竜。
こんな連想が働く私にとっては,「沈黙は金だから死」が正しかった。質疑応答の場で求められているものが,貨幣価値ではなく,人類の知識の限界という闇を切り開く試みだったと言えば補足になるだろうか。質問者と発表者の間に立つ理解の壁という悪魔に銀の弾丸を撃ちこむべきで,金は役に立たないどころか悪魔にのまれるのだろう。
金銀に対して何を思うかは人それぞれだから,私が後輩に伝える言葉では諺を肯定も否定もしたくない。「『沈黙は金』と言うものの,ここでは『沈黙は死』です」くらいが適切かなあ。