今日の思索#6

「自明なことを書くこと」


数学書の場合

trivialにも議論をちゃんと書くと直感的な理解よりかなり長くなるから仕方なく省略している良いtrivialと著者が分からなくて誤魔化しているもしくは勘違いしている悪いtrivialとほんとうにtrivialなガチtrivialがあるのでむずかしい

http://twitter.com/omeometo/status/80919314743570433

というように,様々な「自明」な論理が省略されて困るのですが,自明な結論については,Definition直後のRemarkやTheorem直後のCorollaryとしてしっかり記述されていることが多いように感じます.


自明な論理と自明な結論,この2種類の自明なことは大きな違いがあり,読み手・聞き手に要求することが異なります.

  • 自明な論理は思考力
  • 自明な結論は発想力

を必要とします.よって,私の場合は後者が書かれないことの方が痛手になります.また,しばらくはそのことに気付けないでしょう.さらに困ったことに,書き手・話し手が自覚しやすいのは前者です*1


さて,日常的な例を考えてみます.自分の感情を他人がどの程度理解できるかという点で雑な二分法を行うと,

  • 不幸せな感情については,結論は簡単で,論理は難しい
  • 幸せな感情については,論理は簡単で,結論は実は難しい*2

と言えます.私の場合は上の議論がとても当てはまってしまいました.すなわち,不幸せな感情は説明が困難なことを自覚し延々と話して過剰に伝わり,幸せな感情は単純な理由だからとほとんど話さず伝わらないということが起きているようです.


だから,幸せなときは幸せだと口に出して言おうと思います.これはよく目にする(耳にする)教訓でしたが,その理由や「私が実行できていないこと」を分かるためには,このような議論を経た再発見が必要でした.

*1:中が欠けると気付きやすいけれど,端が欠けると気付きにくい.論理関係をdirected acyclic graphで表して考えている.

*2:社会的に振舞うとき,まずは悪い感情を抑えるため,幸せそうに見えることから実際にそうであることは導けません.