「エビデンス」を作る仕事

魂全体を売る操作は良く知られているが,分割して部分的に売るという操作に拡張して具体例を考察する。

売却と譲渡の比較

そういえば,年賀状を書く時期かもしれない。

例えば,申請書・報告書等を手書きしなければならない場合を嫌に思っても*1友人への手紙を手書きしようと思う人は少なくないだろう。このことは「魂を売る」という表現と「魂を捧げる」という表現の意味の差に見ることができると思う。友情を(時間で)買っているのかという問題はさておき,社会通念として「友情は買えない」ことになっているので,「対価を得ないならば『それ自身が価値を持つ行動』なので尊敬されるべき」という扱いのようだ。「魂」という言葉を「人生における時間」の意味に使うところには飛躍があるし,そもそも,人生における時間からすればほんの一部の時間の扱いを問題としているので「部分的」な売却・譲渡を比較している……少し違うが,『ドラえもん』に身長を売るひみつ道具とかあったなあ。部分的にでも売り続けると終いには全部売ってしまうわけで。

という導入は後付け*2

エビデンス」あるいは proof of work

一部のIT業界では,スクリーンショットを貼り付けることでテストを行った証拠とすることがあるらしい(参考:まとめよう、あつまろう - Togetter)。「スクショ貼りはシステムの品質に貢献しない」といった指摘は理解できるし,「納品先は馬鹿だからスクショでないと分からない」というのももっともらしい。しかし,こういう指摘からはこの慣習がどのような種類の問題であるかは見えてこない。では,なぜ問題なのか。

私の答を要約すれば「魂を切り売りしているから」となる。IT関係なしに*3,誰にでも分かる表現で書ける話だ。

スクショ貼りが支持される理由は,「テストをせずに画面を捏造することは時間がかかるから」であろう。作業に必要な時間を下の表にすると,

  • 0 < c−a ≦ d−b であり,
  • おそらく,a > b であり,
  • 上司(仕事の責任者)が期待することは例えば c < d かもしれない。
正しく仕事をする 不正する
スクリーンショットを要求しない a b
スクリーンショットを要求する c d

対価として何を得たか

表の値について上記条件を仮定すると,c−aの時間を売って信用を買ったことになる。そして,どうやら今回必要とされている「信用」とは,「誤っていたときに責任をとること」への信用ではなく,「決して誤っていないこと」*4への信用らしい。だいたい,責任をとる(ことが可能な)環境では,不正をしてa−bの時間を浮かせる動機*5はないはずで,スクリーンショットは要求されないと思われる。

「責任への信用」と「正しさへの信用」は言い換えれば「人への信用」と「物への信用」だ。被雇用者の立場からすれば,買った「製品(物)への信用」は「自身(人)への信用」を導かない。というのも,スクリーンショットを貼り付ける場合には,短期的にさえ(不正が決して発覚しない仮定をおいてさえ)不正が得しない (c < d) と見なされているから*6

感覚的な表現をすれば,「身を削って」出てきた薄皮を回収され,上ではそれを「印紙として書類に貼り付けるため」に用いている。逆説的だが「身を削っても何も出ない方がかえって,他人に売買される心配はないし,身を削った本人(のa−bの時間)が評価される」状況なのだとしたら残念だ。

どうしてこうなっちゃうんだろう

何かの列に並ぶとき,人々は平等に時間を待つ。これを社会の非効率性だと考えたことは誰にでもあるはずで*7,しかしこの非効率性を無条件に改善する方法がないことも社会で学んだとおりだ。「列に並ぶ」みたいなのは低レイヤー*8での(「社会の仕組み」の)実装方法であって,人々が匿名でなかったり他人でなくなったときはその人間関係を用いてより効率的な実装ができる。例えば,予約して時間を決めたり,「前回に貰ったから今回は譲るよ」みたいにできたりする。

そして,システムの設計者は,存在することになっているレイヤーでの実装ではなく,信じているレイヤーでの実装をする。例えば,学校で通常の配布物回収物は列ごとに配られたり集められたりしていても,試験の時だけは答案を直接集めていたのではないか。

さて,上で議論したスクリーンショットの件は「労働者の代替可能性」の問題だろう。ただし,安い給料で買い叩かれることではない。代替可能であるがゆえに使い捨て可能な形でしか信用を売れず,そのことは社会の非効率を(ゲーム理論的に)必然とする。

「いかなる人間も尊厳のある存在だ」という仮定をおいてさえ,その仮定は高レイヤーで通用する話であって,低レイヤーで可能な操作では人間は分割可能な財と区別がつかない。「魂」と「肉」という用語をこれを表すために濫用すると,高レイヤーで扱うと「魂を(肉と共に)捧げる」ことができるが,低レイヤーでは「肉を分割して売る」ことになり,このとき「肉に沿って削られた魂はどこかへ消える」。予定と少し異なる結論が出た気がしたが,そういえば,「魂を売る」という慣用句で,実際に組織*9が買っているのは「肉」(とその制御権だけとしての「魂」*10)に思われるので何も問題がなかった。

*1:就職活動において履歴書を手書きさせられる問題が有名だが,そのような体験がほとんどないせいで私が説得力ある主張をできるとは思えなかった。

*2:もともとは今年(2014年)の8月に途中まで書いていた内容。最近にもネタにされる(D: 高橋くんの苦悩 - AtCoder Beginner Contest 015 | AtCoder)など公開する機運が高まってきた。

*3:プログラムのテストに割く人力を適切に減らす(ことができる)話はここでは繰り返さない。

*4:「無謬性」って言うんだっけ。

*5:誘因,インセンティブ

*6:雇用主は「正しく仕事をするために捧げられたa−bの時間」の基準となるbを計算する必要すらない。

*7:「まだ開店まで時間があるのに,なんでこの人たちは寒さに耐えているの?」というナイーブな考えを「非効率」という言葉にすることは求めていない。

*8:「低レベル」と書くと誤解を生む気がした。

*9:悪魔が魂を買う場合は知らない。

*10:すなわち元々の信念は捨てられる。