今日の思索#9

「実体験で成長するのはどの時か」
ボードゲームとコミュニケーションの違いを例に.


成長するということは2通りに分けることができて*1

  • 良い手が何かを理解し,それを打てるようになる
  • 悪い手が何かを理解し,それを打たないようになる

の2つがあります.これらは同値な言い換えではないでしょう.手の良し悪しを教本でなく実戦から理解するのは少し難しい面があり,状況が良くなった悪くなったということが必ずしも自分の手の良し悪しを表していないということが問題です.


ボードゲームの場合:
良い手なんてものは実は存在しない*2ことになっているのですが,良い手というのは「自分が考える手のより良い手」のことであってそれを相手の手番から学ぶわけです.相手が良い手を打った場合(たとえ直後には気づかなくても)ゲームが終われば相手が上手かったことが分かります.自分がたまたま打った手が良い手だったというのもありますが.一方,悪い手についてはというと,悪い手を打ち続けても必ずしも負けたり相手が喜んだりしないと考えられます.相手が「悪い手に対応する必然手」を打てる程度の強さでないと気づき得ないと言えるからです.


コミュニケーションの場合*3
ボードゲームとは,敵同士ではない*4という違いもありますが,結果が「上手く行った」に偏っている点が結果からの学習に違いをもたらします.「そんな筈はない,私はコミュニケーションが苦手だ」なんて言う人がいそうですが,そういう人は当たり前の日常にもっと目を向けましょう.で,コミュニケーションが失敗に終わるのはというと双方が悪い手を打ったときです.悪いというと語弊がありそうなので直すと,友好的な関係にある悪意がない人同士でコミュニケーションが失敗するのは二人とも下手なことをしたときだけです.これを元にいつ成長できるかを考えると,このように失敗したとき,自分の手や相手の手が悪かったということが反省材料になるというのはもちろんで,相手が悪いことをしてそれを自分がフォロー出来た場合も成長できるでしょう.極端にコミュニケーションが上手くいかない場合だけ成り立つ話でもなくて,「無言でも別に良かったが相手が話題を切らしてそうなので自分が話題を振る」というようなケースも考えられます.


上の2つを比較しましょう.結論は,

  • ボードゲームの力は相手が自分より強い場合によく成長し,
  • コミュニケーションの力は相手が自分より弱い場合によく成長する

です.これを認めると,ボードゲームは適当に対戦をしていれば皆が仲間内でそこそこの実力までに上達し,格差が縮まるのに対し,コミュニケーションはいくら普段コミュニケーションの機会があると言っても格差は縮みはしない(広がるかもしれない)という結論が得られます.別の言い方では,ボードゲームの上達は高レベルな側に壁*5があり,コミュニケーションの上達は低レベルな側に壁がある……


困ったなあ.

*1:この修辞法は汎用性が高い

*2:「まったく悪くない手」が最良

*3:用語をあえて変えないで書きますが,文を理解しやすくする以外の意図はありません.ところで,人と物で「いる」「ある」を使い分けるのが面倒です.

*4:敵同士の場合は今回は扱いません.そういう場合についてはディベートとかで力をつけてください.何? 相手から情報を聞き出す方法? やめましょうよそんなの.

*5:自分より上手い人と対戦する機会が必要