今日の思索#10
「物語における現実の引用」
物語では現実のものをいろいろ引用します.現実の事件をそのまま(であるかのように)用いるのがノンフィクションですが,それに限りません.
(1)
「そうよね……。うちの部室にも関係ないみたいだし……何なのかしら? もしうちの高校が甲子園に出場が決まっても、オリンピック金メダリストが出ても、あんなにマスコミが集まったりしないわよね……」
この部分を引用してもしょうがないのですが,実は,「もし」と言っているものの,この発言をしている人は前年のIMOで単独満点という設定です.この台詞では,「甲子園」も「オリンピック」も一般に認知されていると考えられますし,暗に書かれた,数オリで金をとってもマスコミは大して来なかったことについても,「国際数学オリンピックという名前がすごそうな(しかし,界隈で*1しか知られない)大会」でキャラ設定している以上の意味はありません*2.
(2)
かつて震災と大火に見舞われ、一度は焼け落ちた街――音羽。
これはストーリー紹介文からです.物語に大きく関わっている設定で,何年前か*3と(チラっと出る電話番号から推測できる)地域の設定を考えると,阪神淡路大震災を意識していると考えられます.
(3)
「なあ,さっきから何かにおわんかね.」「におう?」(場所は地下鉄丸の内線で)
「救急車が全部出払っているって? でもうちだって……娘の熱が下がらないんです.このままじゃ!」
これらは普通のシーンではあるのですが,別の箇所に「95」とか「3月20日」とかが出てくるので,地下鉄サリン事件を意識していると考えられます.
で?
(1)は現実から引用しているとはいえ,あまり重要な引用ではありません.対照実験のような意図で用意しました.(2)と(3)は現実の事件を引用している(と妄想が可能な)例ですが,大きな違いがあります.
将来これらが古典文学になったとして,(2)に必要な脚注は最初または最後に「この時代の作品は……に影響を受けたものが多く,その1つである」ぐらいでしょうが,(3)には文章中に多数散在する脚注を必要とします.この世代が鑑賞することを要求するか否かという主張です.今日の思索#8の議論に似ていますよね.
物語の評価はともかく,こういう現実の引用のしかたについての好みを述べると,(2)は文中で説明する責任を果たしていて好きです.(3)は今回の日記のように*5読者に知識を要求する,というか説明を放棄していて好きではありません.せっかく物語なのだから,抽象化できるなら抽象化してほしいと私は思いますよ.